新春、お屠蘇放談

globalmanager2007-01-05


あけおめ、ことよろ。『GLOBAL MANAGER』編集人のSです。

新年の陽光はなぜか普段と違って見えませんか?昔は都心の車が少なくなるからだろうと思っていたのですが、そればかりではなさそうです。何かいつもより明るく輝きを増しているような気がするのです。皆が少しずつ今年は良い年にしようと思っているからでしょうか。

特に今年、人生において大きな転機を予定している人にとっては特別なものに感じられることでしょう。Sとしては特別に大きな変化を予定しているわけではないのですが、仕事面では更なるグレードアップを図りつつ、自分自身の精神性を高めていきたいと思っています。

昨日の仕事始めの日、部署全体で山王 日枝神社に初詣に行ってきました。今年は私の一存で「部運隆昌」「除災招福」を祈願し神札に書いてもらって満足です。

何も普段「神道」について特別に意識しているわけではないのですが、初詣に神社に行くのは物心ついたときからごく自然に行っていることです。多くの日本人の皆様と同じように、観光に出かけると神社・仏閣、古い教会などを訪れたくなりますし、結婚式やお葬式・法事など人生の節目の場面で宗教と接することが多いようです。それにしても、日本には宗教が根付かず、クリスチャンでもないのにクリスマスで楽しくなるなど不謹慎なことをやっていて良いのだろうかなどと考えていたころ、とある英会話学校でTonyというアメリカ人がこの辺りを次のように解説してくれました。

「日本人には古来『武士道』というものがあって、宗教ではないが日本人の道徳的規範となっている。義・勇・仁・忠誠・礼・誠など人としてなすべきことは他の宗教で教えるのと同じ水準である。但し、武士道には宗教が一般的に持っている『セレモニー』がない。そこを満たそうとして日本人はいろいろな宗教のセレモニーの部分を受け入れているのではないか」


皆様はTonyの解説をどのように思われますか?Tonyは居合道好きが高じて東洋哲学を勉強し始めたそうです。人生っていろんな流れがあるものですね。

『武士道』の著者、新渡戸稲造について簡単にご紹介すると、彼はアメリカ・ドイツで農業経済学などを勉強し、札幌農学校の教授となりました。敬虔なクリスチャンで、1900年(38歳)に英語で『武士道』を上梓してから約20年後に国際連盟の事務次長を務めました。日本が武家社会であった約700年間に武士のみならず日本人の根底にまで染渡ったこの精神(The Soul of Japan)こそ、彼が世界に向けて発信したかった内容であり、これが日本人から簡単になくなるわけがないという主張なのです。

元旦の日経新聞社説にも、新渡戸がグローバル時代の進展を予測していたとして次の言葉を紹介しています。

「各国の距離が縮小すれば、何事も、否応なしに共通にならざるを得ない」「世界的標準によりて価値を定めねば、国民も国家も世界に遅れて得るところ少なく失うところが多い」

今から100年も前、国を開いて間もない頃にここまで世界情勢を喝破できたことは尊敬に値します。

お屠蘇をいただきながら、自分が前世で武士だった姿をイメージしようとしたものの、どうしても飲んだくれ坊主の姿が思い浮かぶSでした。

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