宣言『映画を見に行くゾ〜硫黄島からの手紙編〜』


『GLOBAL MANAGER』編集人のSです。
暖冬とはいえ、大寒も過ぎるとめっきり寒くなるものですね。お変わりございませんか?

最近、久しぶりに映画館に行って「硫黄島からの手紙」を観ました。良かったですよ〜。終了直後、前後左右の観客が誰も立ち上がらず、スクリーンに人の名前がずらずらと流れる間、鼻をすする音が絶えませんでした。自分も眼鏡の中に指を入れて流れるものを拭っていたのです、何故ならハンカチもティッシュも持っていなかったので。先日、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞)を貰っていましたね。アカデミー賞にノミネートされて、フムフムという感じです。『GLOBAL MANAGER』でおなじみの船川淳志さんもこの映画を知性・感性を刺激してくれる映画として薦めていましたよ。

ストーリーは極めてシンプルで登場人物もさほど多くないので、すんなり物語りに入っていけます。硫黄島を米軍から一日でも長く守ること、それが日本に残してきた家族のためになると信じて戦う彼ら。単に武士としての美学から全力を出し切るとか、潔く花と散ろうというより、現実的な目的意識を持っていたことに驚かされました。無謀な戦争であったことは間違いないにしても、孤立無援のこの島の局地戦を長引かせることに、それなりの意味を見出していたとは知りませんでした。戦争映画というと、アクションものだったり、妙に残虐性を強調したり、戦争によって愛が引き裂かれた悲しい物語とか、いろいろありますが、この作品は戦争と家族をテーマにしており、どちらが正しいかどうかに関しては極めてニュートラルにできていると感じました。徒に旧日本軍を悪者扱いすることなく、栗林中将の万歳三唱も嫌味がなく、戦闘シーンも適度にリアルだし場面が多すぎることもない。


クリント・イーストウッドが言いたかったことの一つであろうし、また私の琴線に触れたのが「家族を守るために戦にきているのに、その家族のために死にたくないと思う。不思議なもんだな」という場面。ここは純粋に家族を敵から守りたいという「私」の部分を国家の戦争に従うという「公」の姿で表しているのに、やはり家族のためになんとしてでも生き残りたいという「私」の部分が顔を出すという「公」と「私」の間で揺れる複雑な人の心を描き出そうとしているのだと思いました。登場人物は基本的に家族思いであることが、この台詞を印象深いものにしているのだと思います。

栗林中将役の渡辺謙の演技はもちろん素晴らしかったのですが、パン屋の西郷役である“嵐”の二宮和也君も、ふてくされた悪ガキみたいな台詞から、中将と話すときの心からの尊敬の目、最後の狂気の姿まで幅広い演技を見せてくれました。年齢から、この役をこなすのにはに少々苦しいと感じるところはありましたが、考えてみるとこれはアメリカ映画なので、彼らにとっては違和感がないのかもしれません。

それにしても我々は、もっと第二次世界大戦について知らなければならないのではないでしょうか。これからグローバルに活躍していこうとしている皆様にとって、日本の歴史を学ばなければならないというのは常識としても、日米関係の根幹ともいえる先の大戦について認識を深めておくことも、自分の国の姿を正しく伝えていくためにも必要なのではないでしょうか?

私の場合、もう十数年も前の話ですが、バブル華やかなりし頃、企業留学生としてアメリカの小さな大学に滞在していたことがあります。そこで聴講していた歴とした授業の一つに「World War Ⅱ」というクラスがあって(ちなみに「Vietnam War」というのもあった)日本にも進駐軍で来ていた老教師が、なぜ日本とアメリカが戦争しなければならなかったかを1セメスターを通じて教えてくれました。それは太平洋を西へ西へと膨張していたアメリカと東アジアで頭角を現した日本の、当時としては避けることのできないパワーとパワーのぶつかりあいだったというもの。それを史実に基づき丁寧に解説してくれたことを、美しいキャンパスの様子と共に懐かしく思い出しました。そして、もう一つ思い出したのが、自分よりかなり若い学生が真剣に学んでいる姿に接し、若い頃にちっとも学んでいなかったおのが不明を大いに恥じたことも。そうだった、学びだ。気合を入れなおそう。

映画館で映画を見たのはこの前が「日本沈没」その前が「タイタニック」だ。これからはもっと映画を見に行って見聞を広めよう、次はハンカチを忘れずに持っていこうと思ったSでした。

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