二十四節気と四苦八苦


年度末のごたごたで、最近ブログを書くのが遅くなっている編集人Sです。
例によって二十四節気でいうところの「清明」となり、清々しい明るい空になってきましたね。ご存知のように二十四節気は一年間を二十四に分けてそれぞれの季節に名前をつけているもので、細やかな季節感があって、私は好きです。


ところで、何故この私が二十四節気を気にするようになったかですが、それはサントリーの「響17年」というお酒が発売されたのがきっかけでした。このウィスキーは定価が一本9000円以上と、とてもお高いものなのですが、このボトルが実に凝っていて、なんと24面にカットされているのです。その意味は二十四節気ごとに美味しい料理とお酒を味わって欲しいという意味をこめているとのこと。それまで二十四節気を知らなかったわけではないのですが、それ以来私の頭に入り込んでしまったのでした。9000円のボトルとなると、編集人Sのお給料では買えるはずもなく、なんかの拍子にチビットなめたりしたものの、バーなどでボトルを見かけてもせいぜいバーテンに頼んでキャップを撫で回すくらいしかしていません。そのキャップもボトルと同じく24面カットというところが憎いではありませんか?


数字を使った言葉つながりで(少々強引ですが)今回ご紹介したいのが、四苦八苦という仏教の言葉です。四苦とは「生老病死」の四つの苦しみ。これにあと四つの苦しみを足して、八苦になるのです。みなさん、四苦+八苦で十二の苦しみのことだと思っていませんでした?私はてっきりそう思っていました。その後の方の四苦ですが、愛別離苦五陰盛苦、求不得苦、怨憎会苦とあります。
今回はこの内の一つ、「怨憎会苦(おんぞうえく)」についてひとこと。この苦しみは読んで字のごとく、怨憎に出会う苦しみのことです。怨憎とはうらみにくむこと。つまりは憎たらしい奴に出会うことです。新年度ということもあって、皆様、各地で様々な出会いを経験されていらっしゃると思います。素敵な出会いの多いことを願っていますが、そうとばかりは行かないのがこの世の中というものです。「こいつさえいなければ、この季節、純粋に桜の美しさに酔いしれていられるのに」と思ったこと、このS としても何度も経験しています。
四苦八苦は、お釈迦様が二千数百年以上前に、人間誰しもが等しく経験するものとして示したもので、人類始まって以来、延々と続けられている誰にも避けて通ることのできない苦しみなのです。皆様それぞれの嫌な相手にどう対応するか、どうその苦しみから逃れるかの答えを差し上げることはできませんが、こんなことが何千年と繰り返されてきていると思うだけで、自分の目の前の憎たらしい相手がなんだか可愛いものに見えてきませんか?
見えてこない?そんな悩める夜は「響」のミニチュアボトル(640円)でも手に入れて、一杯やりつつ、このブログでも読みながら「Sのバカヤロー」とでも叫んでみましょう。


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