トルコと日本の友好史


こんにちは。『GLOBAL MANAGER』編集部の岩楯です。

先日、数ヶ月前に出会った知り合いの方から「初めて岩楯君を見たとき大学生かと思ったわ」と言われました。いつも「実年齢+2歳」で見られる自分にとって、そんな素敵なことを言ってくださる天使のような方が、この地球上にいたんだなぁと熱いものがこみ上げてきました。感動です。

「初おでこです。若干テカってますが・・・」

今日は「感動」繋がりで、毎朝聞いているラジオで鈴木杏樹さんが紹介し、感動のあまり放送中に涙声になってしまったトルコと日本のあるエピソードについてのお話しをしたいと思います。自分も台所で食器を洗いながらこの放送を聞いていたのですが、熱いものが頬をつたわっていくのを感じました。ウルウル。

皆さんは、「エルトゥールル号遭難事件」をご存知でしょうか?

残念ながらきっとご存じないのではないかと思います。なぜなら、このエピソードは日本の学校で教えられることがほとんどないからです。一方、トルコの学校では必ず教えられるエピソードだそうです。

エルトゥールル号遭難事件」は、1890年(明治23年)9月16日に樫野崎沖(和歌山県紀伊大島)でトルコのエルトゥールル号が沈没した海難事故であります。

エルトゥールル号は、1887年(明治20年)に日本の小松宮彰仁親王のトルコ訪問を受けて、その返礼として1889年(明治22年)に日本に派遣されました。

出発前から船の老朽化が心配されていたエルトゥールル号は、乗員600名を乗せてイスタンブールを出発し、故障などに悩まされつつも11ヶ月後の6月7日に横浜港に接岸したそうです。

エルトゥールル号の一行は各地で盛大な歓迎を受け、3ヵ月後の9月14日に帰国の途につきました。その際、日本の政府は台風シーズンであることや船の老朽化を懸念し、出航の延期と船体の修理をすすめたものの、彼らは「本国からの通達」を理由に出航しました。

横浜を出航後、紀伊半島を通過し神戸港に向かう途中に台風の直撃を受け、座礁し、船底の浸水による機関の蒸気爆発により沈没してしまいました。

生存者の何人かが樫野崎灯台に流れ着き、エルトゥールル号の事故を知った地元の人々は、夜を徹して遭難者の収容と手当てに当たったそうです。その結果、69名の方が救出されました。

また、地元の人々は生存者たちのために、自分たちの食事もままならない状況にもかかわらず、食べ物を持ち寄ったそうです。

その後、69名の生存者は日本海軍の「比叡」と「金剛」の2隻によって無事イスタンブールに送り届けられたのです。

そのことが新聞で大きく報じられ、日本に対して好印象をいだくきっかけとなったそうです。そして、今日でもトルコではそのエピソードが学校で教えられています。

先日、トルコ人青年たちに東京を案内するボランティアに参加したお話しをしました。その時、彼らがとても日本に好意的だった理由がこのエピソードを聞いて、良くわかりました。また、彼らが東京以外に和歌山を訪れると言っていた理由も理解できました。

その一方で、トルコと日本のそんな重要なエピソードも知らずにいた自分を恥ずかしく感じました。なんて無知だったのでしょうか・・・ 

次号にご登場のグロービス堀 義人氏が「グローバルマネジャーの要件」の一つとして「世界の歴史を知っていること」を挙げてらっしゃいました。確かにそうだと思います。もしも、自分がトルコの青年たちと出会う前に「エルトゥールル号遭難事件」を知っていたら、もっと深い話しができたのかもしれないと思うと、ほんとに残念です。

トルコの方とはまだメールで連絡を取っているので、次にメールを出す時には、そのエピソードについて聞いてみようと思います。

そんな感じで、岩楯でした。

参考:トルコの時代「日本とトルコの民間友好史」http://www.turkey.jp/2003/info03_2.html


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