言葉の使い方は、思いやりを基準に。


皆さんは、ご自分の言葉に自信はありますか?
ここ数年、言葉の使い方や話し方、
そして、間違った日本語を指摘するような書籍が目に付き、
言葉に対する意識が高まってきているのかなぁと感じます。
もしかしたら、高まっているというより、危機感からなのかもしれません。


個人的には、言葉はナマモノなので、変わっていくものだと思っています。
大学で英語を専攻しており、ラテン語から引き継がれる英語の歴史を
イヤイヤながらに学びました。
イヤイヤというのは、単におもしろいと思えなかったし、
現在使われていないものを学ぶなんて、無駄のような気がしたからです。
でも、歴史とともに言語が変化していくことが、とても自然で必然に思えたので、
今となってはおもしろかったなぁと感じています。


言葉は、その使い手にとって使いやすいように変えられていく。
だから、英語を勉強するとき、アメリカ人、イギリス人の歴史や文化背景を知らないと
よく理解できないこともたくさんあります。
もちろん、母国語同士での会話でも、理解できない、誤解が生じるということはよくあります。


現在、雑誌をつくるという仕事では、
ライターさんという言葉のエキスパートさんがいてくれるおかげで、
取材時に得た貴重な情報や雰囲気がきちんと文章に落とされていきます。
でも、当たり前のことながら、そのほかの仕事やプライベートでは、
自分の言葉で話したり書いたりするわけです。
そのときに、「誰に何を伝えたいのか」という意思のない言葉は、
記憶に残りにくいような気がしています。


そんなときに、岸守さんのお話を聞きながら、
言語化された思考」と「焦点を絞って伝える心遣い」を感じました。
伝え方の工夫と相手の状況を思いやることの大切さ
・・・まだまだ私に不足している部分です。


今回、記事の中でもっとも皆さんと共有したいと思ったのは、
「単に正確に伝えるだけでは、人を傷つけることもある」
という岸守さんの言葉です。
本当はこの言葉は、本誌で読んで感動してもらいたかったのですが、
その深い意味については、Gm第31号で読んでもらえたら
と思っています。


取材中にお聞きしたさまざまなお話から、
濃縮していろんなことを考え、行動に移していく岸守さんは、
人一倍いろんなことを感じ、傷つく経験もされてきたのだろうなぁと
勝手に考えていた近松です。


日本にいて日本人同士でコミュニケーションするときでさえ、
世代間、性別、境遇などで受け取り方が違ってくるのが言葉ですが、
グローバルかつ大人数が働く国際機関では、
直接会ったことのない方や異文化の方とのコミュニケーションが
多いわけですから、自分がその情報をどう噛み砕いて、
誰にどう伝えるかを考えることは、どんな人にも必要なスキルだと思います。


情報過多なこの時代に、ただ情報を流していくというのは、
思いやりに欠けるように思い、自分も気をつけていきたいなぁと
思った取材でした。

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