ロンドン同時爆破テロ





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みなさま、こんにちは。
先日、自動改札にこの協会の入館証をかざしてしまったイイジマです。
出勤の気持ちが前のめりになってしまいました。
アラマキに続く第2弾・・・通勤ラッシュ中に流れを止めてゴメンナサイ!!


ところで先週のアラマキのブログにありましたマイケル・ジャクソンのジャケット写真。
あれを友達が上手に描いて絵葉書にして、例のトランス状態の近所の男子にプレゼントしたら
「やっべ、すげーかっこいいじゃん!」と大興奮してくれました。


8月にアップする『GLOBAL MANAGER』38号制作もいよいよ佳境に入っております!
今回のご登場者の方々からも素晴らしいお話が聞け、アラマキも私もとっても勉強になりました。
また、リニューアルに伴って「私の失敗談」含め、新企画も3つほど登場いたします。
みなさま、より精進した『GLOBAL MANAGER』をどうぞお楽しみに!

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さて、今回の「私のグローバル体験」はロンドンのテロのお話です。

なんだかんだ事情や縁があってロンドンには合計4年ほどいたのですが、
ちょうどその間に、ロンドン同時爆破テロと未遂に終わったもの
すべて合わせると合計3回のテロに出くわしました。

1回目の7月7日──
この日、前日からイギリス(United Kingdom)のスコットランドでサミットが行われており、
テロがなくとも、人々の意識がいつもとは少し違っていた日ではありました。
当時の首相、小泉さんもいらしていたこともあり
私は「おぉ、あの小泉さんが近くに・・!」などと思っていました。

テロはこのサミットに合わせて実施されたそうです。

当日の朝、私はバスに乗っていました。
私が勤めていた会社はOxford Circusという駅の近くにあります。
ちなみに、ここはファッションの発信地として知られるところです。


地下鉄もバスもすべての爆発はロンドンの中心地の西側と東側、それから東北ロンドンです。
テロがあった時、私は南のウィンブルドンの近くに住んでいたのですが、
運悪くその日の前夜は北ロンドンに住む友人宅に泊まらせてもらっていました。

するとイギリス人の友人Jから電話がかかってきて
「今日は会社に行くな」と緊迫した声で言われました。
「はぁ。もう友達のうちを出たよ」
「すぐにバスを降りろ!」
「ぬをー、なんだかわからないけど仕事休めない」
「仕事なんて言ってる場合じゃないぞ」


この時点で彼も私もまだテロだということは思いも寄りませんでした。
Jからは緊迫感が伝わってはくるのですが、やはり真面目な日本人、
事態の深刻さがまだわかっていなかったこともありますが、私はとりあえず会社に行ってみよう、
もし無理そうならば途中で引き返してこよう・・・と友人の忠告も聞かずバスに乗っていました。


すると、街の中心に近づくにつれ、明らかにいつもと違う光景が見えてきます。
人々は騒然とし、急ぎ足で歩く人や号泣しているおばあちゃんなどもいて、
自分が乗っていたバスも運転手が事態を無線で聞いてか、途中で走るのを止めてしまいました。
なんだかとっても嫌な予感がして、これは本当に会社には行かない方がいいのかも・・・
と思っていたところへ、Jからまた電話です。
「どうやらテロらしい。街中が爆破されている。会社に行くなんて無茶だぞ」

て、テロ!!! (T■T;)!!
私は「ついに来たか」という気持ちでした。
とりあえず会社に電話してみると会社のおえらいさんが出て、
今日は家にいなさいとの指示が出たので、バスから降りて友人宅に引き返すことにしました。
泊まらせてもらった友人にも電話をして「家にいた方がいい」と伝えました。

バスから降りると、異様な匂いが鼻先をくすぐり、そしてガラスの破片などが飛び散っているのを目の当たりにしました。
そして人々は、煙と埃が舞うロンドンの街のなかを、警察官の誘導を受けながら歩いていきます。
私は人の波にもまれながら、今バスで来た道を戻りました。
その間にも救急車や消防車のけたたましいと音は至るところで鳴り響いていて、
ただ事ではないことを物語っています。
(テロへの準備を十分にしていたとされるロンドンでは、すぐに100台の救急車が到着したとか・・)

友人宅に戻ると、もうすぐお昼の時間。友人はテレビでテロの放送を見てあわてています。
「大変だったね。大丈夫!?」
私はテレビの画面で、テロにあったロンドンの街をその時はじめて俯瞰しました。








※3つはBBC Newsより





Wikipediaより

そのテロでは56名の方(実行犯含む)が亡くなったそうです。

翌日。安否を気遣ってくれた日本の家族や友人から電話やメールが鳴りっぱなしです。
「街中大変なことになってるね」
「大丈夫だった!? 精神的なショックを受けてない?」
などと言ってくれます。
爆破が起こったところは大変な被害を追い、被害者の方には大変気の毒だったことはもちろんなのですが、
「街中」大変なことになっている雰囲気からはかなり程遠かったように思います。
当日も翌日も、ブレア首相の「我々はテロに動じない」という声明通り、
みんな驚くほど何事もなかったかのように普段どおりに生活をしていました。
当日も黙々と残業までしていく人や、翌朝は爆破されたバスと同じ番号(路線)のバスに乗る人もいました。

聞くところによると、ロンドンはIRA(アイルランド共和軍)をはじめとする数々のテロに慣れているようで、
いつ起こっても不思議ではない、動揺することこそがテロリストの狙い通りになってしまう、
という意識が普段から根付いているようです。




2回目の7月21日──
私はこの時、地下鉄に乗っていました。
この日の爆発は朝の通勤時ではなくなぜか昼下がりでした。
なんとまたまた運悪く、私はこの日たまたま午後出勤だったのです・・。

南から中心に向けて地下鉄に乗っていると、急に電車が止まって動かなくなりました。
でも動かなくなるというのはロンドンの地下鉄ではいたって日常的なことなので、
私は特に何も思わず本を読み続けていました。
すると少ししてけたたましい声の車内アナウンスが流れます。

「次の駅で爆発がありました! 降りてください!」

がーん! ま、またか・・・。
私たち乗客はその1つ前の駅で降ろされ、そこからバスに乗って出勤です。
面倒くさそうに電車を降りる人ばかりで、心配したり不安になったりしている人は皆無でした。

この時は、結局小さな爆発で終わったようでしたが、
7月7日からまだ1ヶ月も経っていない頃だっただけに、警察当局の警戒心も強まったのではないかと思います。




あまりにも長くなってしまったので、ここで一度切らせていただき、
次回はロンドンのテロその後のお話をさせていただこうと思います。

ところで、私が渡英した頃は、アメリカの9.11やスペインの列車テロの後だったこともあり、
次は日本かイギリスかという見方が非情に強まっていた頃でした。
私は日本より絶対にイギリスだろうと思っていたので、
ロンドンでテロに合うだろうということは、一応頭にありながらイギリスへ飛びました。

イギリス生活も落ち着いてきた頃、テロに遭遇して死んでしまった場合のことを考え、
親に向けて一言何か書いておこうかと思い立ちました。
まぁ実際にテロが起きるかどうか確かではないけど、万が一のことを考えて・・・と
キッチンでラーメンを食べた後、お皿もそのままに軽い気持ちでペンをとりました。

普段、親に手紙を書くことなんて慣れていないので、なんて書こうかと書き出しでつまずく私。
とりあえず、月並みに「先立つ不幸をお許しください」から始めました。
そんなシリアスな文言からスタートさせた手紙は、書き進めていくうちに、
二十数年間の自分の愚行がいくつも思い出されて、「すみません」の文字がやたらに並ぶ懺悔の手紙に・・・。
そして、幼い頃から現在までの思い出が走馬灯のように脳裏をかけぬけていき、
まるで本当にこれから死ぬ人が遺書を書いている気分にまで気持ちが盛り上がってしまいました。
ついに感極まって涙がボロボロ出てきてしまい、私のペンは途中で動かなくなりました。



ちょうどそこへハウスメイトがキッチンへ。
「ど、どうしたの!?」
おうおう泣いている私を見てかなりビックリしています。
「遺書を書いてたら泣けてきて・・・」
「え、死ぬ気!?」
「いや、死なないけど・・」
「じゃあ、遺書って?」
「・・・・」
「で、なんで泣いてるの?」
「・・・・・ねぇ。なんでだろう」


テロの脅威を改めて感じたイイジマでした。




次回のアラマキのブログでは、来る8月に発行する38号の新企画について明かしたいと思います。
みなさま、どうぞお楽しみに!




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